世界的なヒットとなった「Don’t Dream It’s Over」のあと、ソングライターとしてのニールに一気に注目が集まり、かなりのプレッシャーの下、1998年にセカンド・アルバム「Temple of Low Men」が発売されました。メロディアスなポップチューンズ満載だったのですが、ファースト・アルバムがあまりにもヒットしたために評価は厳しく、欧米での売れ行きは今ひとつでした。
1984年のスプリット・エンズ解散後、兄のティムからバトンを引き継いでいたニール・フィンとドラムスのポール・ヘスター、それにオーストラリアでのスプリットエンズさよなら公演中に出会ったベーシストのニック・シーモアで結成されたのがMullanesというバンドでした。ニール曰く、車一台に機材をすべて詰め込み、気軽にどこへでも出かけるアコースティック・バンド、というのがそもそものコンセプトだったようです。メルボルンで活躍を開始後すぐにキャピトル・レコードと契約をし、ファースト・アルバムのリリース前にバンド名をニックのミドルネームであるMullanesからCrowded Houseに変更しました。
1980年のTrue Colours, 81年のWaiata,そして82年のTime and Tideと、ヒットアルバムを立て続けに発売したスプリット・エンズは、ニュージーランドや隣国オーストラリアは固より、北米やヨーロッパでも押しも押されぬ人気バンドとなっていました。10年以上もの間リーダーを務めてきたティム・フィンはそろそろ違うこともやりたくなっていました。バンドの方をしばらく弟のニールに任せ、ソロとして初めてのアルバムを出すことを決意します。
1980年のアルバム「True Colors」のヒットによりイギリスやアメリカでブレークした初のニュージーランドのグループとなったスプリット・エンズは翌年、ツアーの合間にレコーディングした「Waiata」をリリース。前作程ではなかったものの、本国やオーストラリアはもちろんのこと、北米でもTop50に食い込むことができました。
「My Mistake」で初めてオーストラリアのチャートTop20入りを果たしたスプリット・エンズですが、イギリスではうまくいかず、ニュージーランドに帰国することを決意します。しかし、祖国でも仕事がなく、生活保護を受けるまでに切迫した状況となりました。窮地を救ったのがニュージーランド文化振興協会の助成金。スプリット・エンズはそれで再びロンドンにわたり、五日間スタジオにこもりきりとなって28もの曲を一気にレコーディングしました。














