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	<title>Curly Music</title>
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	<description>Music with a Message, Music for a Purpose.</description>
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		<title>Archer’s Arrows / Crowded House</title>
		<description><![CDATA[1996年、人気絶頂のさなかに解散したクラウデッド・ハウスですが、その後ニール・フィンをはじめ、メンバーはそれぞれ別の道を歩みはじめ、それなりに成功を収めるようになります。解散とはいっても喧嘩別れをしたわけではなかったのでいずれ再結成するのでは、というファンの期待もありました。ところが、2004年に創設メンバーのひとり、ポール・ヘスターが自らの命を絶つという悲しい出来事があり、もはやクラウデッド・ハウスのライブは望めないと思われていたところ、2007年、新しいライナップによりニューアルバムのリリース、そしてツアーが実現しました。そもそもはニールのソロアルバムとして始まった企画だったのですが、レコーディングをしていくうちにポールへのトリビュートも込めて、クラウデッド・ハウスの名前で出すことになったのです。 レコーディングが始まってまもなく、ニールは再結成を決意、そしてオーディションを行うことに。２０日間でニューメンバーが揃い、レコーディングに加わります。そうして完成したアルバム「Time on Earth」はポール・ヘスターの死を悼みつつ、新しい道を切り開いて行こうという意気込みを感じさせる内容でした。ライブの中でニールが「今の自分たちのテーマソング」として紹介したDon’t Stop Nowをどうぞ。 リリース直後から積極的にツアー活動を行った新生クラウデッド・ハウス、2009年には新たなレコーディングをスタート。そして2010年６月にリリースされたのが「Intriguer」です。前作以上に好評で、昔からのクラウデッドハウスのファンだけでなく、これを機にニール・フィン、そしてクラウデッド・ハウスの虜になった人たちも多かったとか。聞けば聞く程その良さが伝わってくる熟成されたクラウデッド・ハウスです。 スプリット・エンズ、クラウデッド・ハウス、そしてフィン・ブラザーズとかなりの回数をティムとニール・フィン兄弟に充ててしまいましたが、それだけ２人がニュージーランドのミュージック・シーンに与えた影響が大きかったのです。次回からはまた他のアーティストを色々とピックアップしたいと思います。乞うご期待！]]></description>
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		<title>Won&#8217;t Give In / The Finn Brothers</title>
		<description><![CDATA[ディズニーの「メアリー・ポピンズ」や「ジャングル・ブック」をはじめ、５０本以上の映画作品の作詞／作曲を手がけてきたロバートとリチャード・シャーマンは仕事の上では最高のパートナーですが、仲が悪いことで有名です。ほかにも60年代に大人気だったエヴァリー・ブラザーズやブリティッシュ・ロックの覇者、ザ・キンクスのデイヴィス兄弟、オアシスのガラガー兄弟など、あまりにも兄弟仲が悪く、裁判沙汰になるケースまでありますが、ニュージーランド音楽界の大御所的存在であるティムとニールのフィン兄弟はオンオフともに仲がいいことでも知られています。 スプリット・エンズ、クラウデッド・ハウス時代からいつかは２人でアルバムを出そうと考えていたのですが、それが初めて実現したのが1996年の「フィン」。それから8年以上経った2004年にリリースされたのが「Everyone Is Here」。コンセプトアルバムとまではいかないのですが、家族のことを扱った曲が殆どで、「brother」という単語が頻繁に使われています。その中からオープニングトラックのWon’t Give Inをどうぞ。 スプリット・エンズやクラウデッド・ハウスとはまた違った大人の魅力あふれるこのアルバム、ティムのニールそれぞれのソングライターとしての才能、そして２人の絶妙なハーモニィーがたっぷりと味わえます。そんな２人のライブからEdible Flowersです。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/964</link>
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		<title>Weather With You / Crowded House</title>
		<description><![CDATA[世界的なヒットとなった「Don’t Dream It’s Over」のあと、ソングライターとしてのニールに一気に注目が集まり、かなりのプレッシャーの下、1998年にセカンド・アルバム「Temple of Low Men」が発売されました。メロディアスなポップチューンズ満載だったのですが、ファースト・アルバムがあまりにもヒットしたために評価は厳しく、欧米での売れ行きは今ひとつでした。 とはいうものの、ニュージーランドやオーストラリアでは大ヒットし、ややカントリーっぽいシングル「Better Be Home Soon」も第２位にまで上り詰めました。 欧米での反応に気落ちしたニールは予定していたツアーの方をキャンセルし、お兄さんのティムとのデュオアルバムの準備に取りかかることにします。短期間で１４曲を書き上げたところでニールは再びクラウデッド・ハウスとしてのレコーディングに入りましたが、思うようにいかず、悩んだ末に兄のフィンにメンバーに加わってもらうことにし、２人で書き上げた曲をクラウデッドハウスのサード・アルバムとしてリリースすることにします。1991年にリリースされた「Woodface」により、クラウデッドハウスはイギリスで初めてプラチナセールスを記録、シングルカットされた「Weather With You」はイギリスを含む６カ国でTop10入りを果たしました。 この「Woodface」の成功により、ティムとニールのフィン兄弟はニュージーランド、オーストラリアでの長年の音楽活動を讃えられ、大英帝国勲章を授与することとなりますが、ティムは間もなくしてソロ活動に専念するためにバンドを離れることにします。 ティムが抜けたあとのクラウデッドハウスは続く４枚目のアルバム「Together Alone」も大ヒットし、ひっきりなしにツアーを行っていたのですが、あまりのハードスケジュールに危機感を感じたニールはツアーを減らし、兄のティムとのデュオアルバム「Finn」など、他のプロジェクトをも手がけるようになります。そして1996年、これまれでのヒットに新曲３曲を加えたベスオヒットアルバム「Recurring Dream」を機にクラウデッド・ハウスを解散することにします。最後のシングル「Everything Is Good For You」は人生、後悔ばかりしてはだめ、といった意味の歌詞です。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/962</link>
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		<title>Don&#8217;t Dream It&#8217;s Over / Crowded House</title>
		<description><![CDATA[1984年のスプリット・エンズ解散後、兄のティムからバトンを引き継いでいたニール・フィンとドラムスのポール・ヘスター、それにオーストラリアでのスプリットエンズさよなら公演中に出会ったベーシストのニック・シーモアで結成されたのがMullanesというバンドでした。ニール曰く、車一台に機材をすべて詰め込み、気軽にどこへでも出かけるアコースティック・バンド、というのがそもそものコンセプトだったようです。メルボルンで活躍を開始後すぐにキャピトル・レコードと契約をし、ファースト・アルバムのリリース前にバンド名をニックのミドルネームであるMullanesからCrowded Houseに変更しました。 1986年６月にリリースされたセルフタイトル・アルバム「Crowded House」では、スプリット・エンズ時代から定評のあったニールのシンガーソングライターとしての才能が一気に炸裂、といった感じだったのですがレコード会社のバックアップがあまりなく、ニュージーランドでは出だしは今一つでした。そこでニールたちがとった行動は、大掛かりなPRツアーではなく、レコード店やレストランを点々と回る方法。音楽、そして楽しいトークを通しての聴衆とのコミュニケーションが話題を呼び、シングルカットされたビートルズの薫り漂う美しいバラード、「Don’t Dream It’s Over」はじわじわとチャートを上り始め、87年の１月にはついに全米 2位に、そしてアルバムの方も４月に12位に輝きました。 アメリカでの成功を受け、発売から１年経った87年の３月にようやくニュージラーランドでもアルバムチャートのトップに輝きました。そして「Don’t Dream It’s Over」に続いてシングルカットされた「Something So Strong」も大ヒット。ニールの絶妙なポップセンスが批評家の間でも話題を呼ぶようになります。 最初にシングルチャート１位に輝いた「Don’t Dream It’s Over」は、2001年に行われたアンケートでニュージーランドのレコーディング史上ベスト１００の第２位に選ばれ、Paul Young, Sixpence None the Richer、Susan Boyleなど、多くのアーティストによってカバーされています。日本でも矢井田瞳が「安らぎはまだ先に」というタイトルでレコーディングしています。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/960</link>
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		<title>I Walk Away / Split Enz</title>
		<description><![CDATA[1980年のTrue Colours, 81年のWaiata,そして82年のTime and Tideと、ヒットアルバムを立て続けに発売したスプリット・エンズは、ニュージーランドや隣国オーストラリアは固より、北米やヨーロッパでも押しも押されぬ人気バンドとなっていました。10年以上もの間リーダーを務めてきたティム・フィンはそろそろ違うこともやりたくなっていました。バンドの方をしばらく弟のニールに任せ、ソロとして初めてのアルバムを出すことを決意します。 1983年にリリースしたファーストアルバム「Escapade」はニュージーランドやオーストラリアで大ヒットし、シングルカットされた「Fraction Too Much Friction」はトップ１０入りを果たしました。 スプリット・エンズに戻ったティムは本格的にソロとしてやっていくことを発表し、後を託されたニールの方もやりたいことが他にもあり、1984年に発売された「See Ya Round」を最後にスプリット・エンズは解散することとなります。 この「I Walk Away」は後にニールの新しいバンドCrowded Houseによって再レコーディングされることになります。次回はオーストラリアのバンドと誤解されることが多いクラウデッド・ハウスに付いてご紹介します。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/958</link>
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		<title>Six Months in a Leaky Boat / Split Enz</title>
		<description><![CDATA[1980年のアルバム「True Colors」のヒットによりイギリスやアメリカでブレークした初のニュージーランドのグループとなったスプリット・エンズは翌年、ツアーの合間にレコーディングした「Waiata」をリリース。前作程ではなかったものの、本国やオーストラリアはもちろんのこと、北米でもTop50に食い込むことができました。 その中からシングルカットされた「History Never Repeats」のミュージック・ビデオは、1981年8月１日、MTVの初放送に流れた曲の一つでした。 1982年発売のTime &#038; Tideは本国やオーストラリアだけでなく、カナダでもアルバムチャートのNo.1に上り詰め、３枚目続けてヒットしたことでスプリット・エンズは誰もが認める人気グループとなりました。中でも人気バンドとしてのステイタス勝ち取るまでの長い道のりと, 19世紀にはるばる海を越えてヨーロッパからニュージーランドに移住した人たちの苦難とを重ね合わせた「Six Months in a Leaky Boat」はニュージーランドで最も親しまれている曲の一つとして今でも歌われています。 アップテンポでメロディアスなこの曲、日本でも「エアテロアの風」というタイトルでリリースされ、結構ヒットしましたが、イギリスでは日の目を見ることがありませんでした。というのは運悪く、フォークランド諸島の領有を巡ってイギリスとアルゼンチンが３ヶ月間にわたって争ったフォークランド紛争のまっただ中だったからです。曲の内容が大英帝国時代の領土拡張を彷彿させるという声が一部のナーバスな人たちからあがり、それがきっかけで放送禁止になってしまったのですが、スプリット・エンズにしてみれば本当に心外だったと思います。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/955</link>
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		<title>I Got You / Split Enz</title>
		<description><![CDATA[「My Mistake」で初めてオーストラリアのチャートTop20入りを果たしたスプリット・エンズですが、イギリスではうまくいかず、ニュージーランドに帰国することを決意します。しかし、祖国でも仕事がなく、生活保護を受けるまでに切迫した状況となりました。窮地を救ったのがニュージーランド文化振興協会の助成金。スプリット・エンズはそれで再びロンドンにわたり、五日間スタジオにこもりきりとなって28もの曲を一気にレコーディングしました。 その中の一曲「I See Red」は帰国後にシングルとしてリリースされ、オーストラリアでチャートインしました。 2001年までにリリースされたニュージーランドの歌の28位に選ばれた「I See Red」はフィン兄弟の兄、ティムの作品ですが、あのジョン・レノンがかつて「最も好きなソングライターの一人」にあげていたのがこのティム・フィンでした。 「I See Red」のヒット後、イギリスでレコーディングされたデモテープを機にレコーディング契約を勝ち取ることに成功し「Frenzy」というアルバムを出しますが、売上げの方は今一つでした。このままではやっていけないということで、よりポップな方向に路線を変更、ティムとニールの書くメロディーを最大限にいかすアレンジが考えだされました。これが見事にあたり、1980年にリリースされたアルバムTrue ColoursはオーストラリアとニュージーランドでそれぞれNo.1に。そしてシングルカットされたニール・フィンによる「I Got You」の方もシングルチャートのトップに輝きました。 前述の2001年までに選ばれたニュージーランドトップ１００の11位に選ばれたこの曲、その後イギリス、アメリカ、カナダでも大ヒットし、これによりスプリット・エンズは海外で最も成功したニュージーランドのバンドとなりました。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/952</link>
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		<title>My Mistake / Split Enz</title>
		<description><![CDATA[人口わずか３００万人ほどのニュージーランドですが、これまでご紹介してきたように、音楽的には実に多彩で日本にはあまり知られていないものの、素晴らしいアーティストが大勢います。中でも大御所的存在がティムとニールのフィン兄弟。1970年代から80年代にかけて活躍した伝説的なロックバンド、スプリット・エンズや日本でも人気のあるCrowded Houseの創設メンバーとしてだけでなく、それぞれソロのシンガー・ソングライター、プロデューサーとして活躍していますし、フィン・ブラザーズという兄弟での活動やニールの長男、リムとの共演もあります。２００１年には日本音楽著作権協会ジャスラックのニュージーランド版であるAPRAのメンバーが選ぶトップ１００のうちのなんと１５曲がフィン兄弟のオリジナルでした。これから数回に分けてティムとニールの活躍を見て行きたいと思いますが、まずはニュージーランドのバンドとして初めて世界的にヒットしたスプリット・エンズから。 Split Ends、「枝毛」という一風変わった名前のバンドは1971年、当時オークランド大学に通っていたティム・フィンが仲間４人と作ったグループで、初めのうちはアコースティックなサウンドを全面に出していました。デビューシングルは1973年のFor Youです。 翌年にはキーボードとサックスを加え、Split Enzと改名。隣国オーストラリアへの進出に備え、ニュージーランドの略であるNZを組み込んだ名前にすることにしたということです。そしてこの頃からトレードマークとなる派手なステージ衣装やエキセントリックなヘアスタイルを取り入れるようになります。 75年に初のオーストラリアツアーを実現したSplit Enz,　Mushroom Recordsというレーベルと契約をし、ファースト・アルバム「Mental Notes」を発売。わずか２週間でレコーディングした付け焼き刃的な感があり、ヒットには至りませんでしたが、ロクシー・ミュージックの名ギタリスト、フィル・マンザネラの目に留まり、イギリスで再レコーディングをすることになりました。出発前にリリースしたのがシングル「Late Last Night」でした。 マンザラのプロデュースの下、Mental NotesをリリースしたSplit Enzはこの直後にオリジナルメンバーの一人が抜け、代りにティムの６歳下の弟、ニールが参加。新しいラインナップでリリースした1977の「Dizrhythmia」はオーストラリアで大ヒットし、シングルカットされた「My Mistake」はSplit Enz初のTop20ヒットとなりました。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/950</link>
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		<title>Ca Va Bien Merci / Andrew Keoghan</title>
		<description><![CDATA[心地よく聞きやすいポップを貴重に口笛とバイオリンで絶妙なハーモニィーを生み出すAndrew Birdは日本でも人気のアメリカのシンガーソングライターですが、そのBirdと比較されているのが昨年デビューしたばかりのオークランド出身のシンガーソングライターAndrew Keoghan。たしかにヴァイオリンを使用するという点では似ていますが、ニュージーランドのアンドリューが醸し出す世界は一種独特。ポップやフォークにクラシックの素養を持ち込み、ループペダルを使ってギターやヴァイオリン、コーラスを重ね合わせたロマンチック・ポップです。 5歳のときから声楽とヴァイオリンを学んだKeoghanはサックスやギター、ピアノ、ドラムをもこなすマルチ奏者。２１歳のときにプッチーニのオペラ「トゥーランドドット」に出演したこともありますが、その後しばらくは、ジャズバンドで歌う傍ら、テレビのレポーターをしていましたが、２４歳のときに歌作りに専念するためにそれまでの仕事をやめ、オークランドをベースにライブを行っています。ヴァイオリン、ギター、キーボード、ドラムそして歌をループペダルを使ってレイヤリングしていきながらも一つ一つの音がしっかりと主張していて、広がりを感じさせてくれます。ひいおじいさんが愛用していた時代物のヴァイオリンを弾いているのですが、クラシックな奏法ではなく、まるでウクレレのようにプラッキングしながら、リズミカルに奏でています。 Keoghanは自分の声の特性をよく分かっていて、キャッチーなメロディーもそれを最大限に活かしたものばかり。歌詞の内容は様々な出会いについて描いたものが多く、Clean Sheets And A Fishbowlでは裏道に迷い込んだ時に突然ストリートガールに声をかけられときのことの驚きを表現しています。 去年の３月にデビューアルバムをリリースしたKeoghanですが、ニュージーランドの日刊紙NZヘラルド・トリビューンの選ぶ年間ベストアルバムの４位にランクインされました。３０歳と、遅いスタートでしたが、じわじわと人気が出てきそうです。]]></description>
		<link>http://curlymusic.jp/post/948</link>
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		<title>Celia / Annah Mac</title>
		<description><![CDATA[これまで何度かご紹介したことのあるGreat New Zealand Songbookは、ニュージーランドを代表するアーティストの選りすぐりの４２曲を集めた名曲アルバムで、20世紀の代表曲を収録したLast Centuryと２１世紀に入ってからのヒット曲が並ぶThis Centuryの２枚組ですが、その中で唯一、これから期待されるアーティストとして紹介されているのが当時、レコーディングデビュー前の新人Annah Mac。(Photo: Annah Mac Facebook) 新人と言っても芸歴は長く、幼いときからステージで歌っており、６歳のときには地元ののど自慢大会で優勝、１５歳の時には中高生対象の全国作曲コンペでBlue Butterflyという作品で優勝しました。 そんなアンナが生まれ育ったのはナルニア物語やロード・オブ・ザ・リングの舞台ともなった大自然あふれるサウスランドのシープ・ステーション、つまり牧羊場です。町から６０キロも離れていたこともあり、放課後は家の手伝いをしたりしている以外は歌と歌ったり、家族と合奏をしたりして過ごす、そんな毎日を送っていたそうです。作曲コンペで優勝したことがきっかけで真剣にプロになることを考え、１７歳のときにオークランドに転居、奨学金を得て本格的に作曲を勉強し、2009年にリリースしたファースト・シングル「Focus」がニュージーランドのヒットチャートの３位に輝きました。 次々と曲を発表していったアンナ、その中の一曲「Home」がGreat New Zealand Song Bookに収録されることになりました。その直後にSonyと契約することになったのですが、Song Bookがリリースされた時点では唯一、レコーディング契約をしていないニュージーランド期待の星として取り上げられました。 2011年９月に発売されたデビューアルバム「Little Stranger」は２年半の間にしたためた３０曲以上の中から選りすぐった１２曲から構成されており、のりのりのポップ調のものからR&#038;B、バラードとバラエティーに飛んでいます。その中の一曲Celiaは友だちのことを歌ったものですが、ニュージーランドで最も権威あるSilver Scrollソングライティング賞にノミネートされました。ビデオも制作されているのですが、残念ながら日本で見ることはできないようです。代わりにライブの模様をご覧下さい。 ツアーもこれから、というアンナ。今、最も期待されているアーティストの一人です。]]></description>
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